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    ジブリ映画「思い出のマーニー」と原作のジョーン・ロビンソン著の「思い出のマーニー」下巻を比較

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      評価:
      ジョーン ロビンソン
      岩波書店
      コメント:ジブリ映画とは全く違う設定に驚くも、こっちも面白いな、と思える作品でした。ジブリ映画「思い出のマーニー」を気に入ったら、原作も読んでみることをおすすめします。

      JUGEMテーマ:読書

      思い出のマーニーの下巻の、映画と違ったところを取り上げてみようと思います。

      ネタバレになるので要注意です。

      上巻の方を読みたい方は「こちら」をクリックしてください。

      --------------------------------------------------------

      下巻での最初の違いは、アンナは、風車に一人で行こうと決心する事です。

      アンナは自分が行って、風車なんてなんにも怖くなかった、とマーニーに言うつもりだったのです。

      でも映画ではマーニーと杏奈は一緒にサイロに行きますよね。

      天候が悪くなるのは一緒で、風車の踊り場に座って時間を過ごします。

      この時、ジブリ映画ではなぜか男物のコートがあります。

      多分従兄弟のものだと思われますが、なぜそれがあったのかは不明です。

      原作ではそういった物はなく、アンナは疲れ果てて眠ってしまったマーニーに麦わらを集めて頭の下に敷いてあげます。

      そしてアンナは自分がマーニーが目が覚めたらわかるようにと番をしているつもりでしたが、アンナも疲れて眠ってしまうのです。

      そしてマーニーは先に降りていってしまった事にアンナは気付きます。

      「私を置いていった」という気持ちになるところは原作と映画、一緒です。

      そして「置いていかれること」に対してアンナがすごく憎しみを持っていることも一緒です。

      置いていったマーニーに対して、アンナは「マーニーを許さない」と思います。

      これも映画と一緒です。

      そして映画で私が一番好きだった場面もちょっと違ったけどいっしょでした。

      「アンナ、大好きなアンナ!」

      マーニーが窓の中で叫んでいます。

      「あたし、どこかにやられてしまうの。あなたにさよならを言いたかったの。でも外へ出してくれないの。アンナ!!」

      「ごめんなさい!あんなふうにあなたを置いてきぼりにするつもりはなかったの。ねえアンナ、おねがい!ゆるしてくれるって、言って!」

      ここで映画ではマーニーはガラス窓を割って叫びますが、原作では窓ガラスは割られません。

      これはマーニーが窓を割る映画の方がインパクトがあっていいな、と思いました。

      そして・・・

      「もちろんよ!もちろん、ゆるしてあげる!あなたがすきよ、マーニー。けっして、あなたを忘れないわ。永久に、忘れないわ。」

      アンナは豪雨の中、答えます。

      この場面、ホント好きなんです。

      インパクトがあるし、憎んでいたマーニーを許す気持ちになったアンナの気持ちを考えると、とっても感動的です。

      その後、アンナは溺れかけて、ワンタメニーに助けられます。

      そしておばさんの家に連れて帰った時もワンタメニーは喋るんです。

      映画では最後に一言、喋るだけの十一でしたが、原作ではちょくちょく話すようです。

      そして寝込んでいたアンナの体調が戻り、あるひ湿っちの方へ行くと、スケッチをしている老婦人に会います。

      ジブリ映画では久子さんにあたる人です。

      でもジブリ映画では結構前から出ていた久子さんですが、原作でスケッチしている場面はここだけです。

      それから、ジブリ映画とかなり違うところは、新しく湿っち屋敷を買った家族の子供が5人もいることです。

      その中のひとり、プリシラという女の子がマーニーの秘密を知っていて、他の4人には隠しているのです。

      そしてこれはイギリスが舞台だからなんでしょうが、アンナの肌の色が茶色っぽくて、髪も黒いことが分かります。

      ジブリ映画の場合は杏奈の目がちょっと青みがかった綺麗な目をしている、というのが特徴でしたよね。

      それはイギリスから日本に設定を変えた時に脚本家がいい感じで変更したからだと思われます。

      そして5人子供がいることになっていたのを1人にしたのも・・・。

      久子さんはギリーという老婦人として登場しますが、久子さんと違って、小柄でずんぐりしており、短いボサボサの白髪をしている、と書かれていました。

      これも久子さんのイメージとは随分かけ離れていますね。

      でも、マーニーとお友達だったことは同じです。

      湿っち屋敷へ引っ越してきた家族とギリーは友人で、湿っち屋敷に遊びにやってきます。

      プリシラが見つけた日記帳を読み、そしてマーニーの思い出を語るのです。

      父親は海軍の兵隊で、溺れて死んだこと、ミスクイックという家庭教師がいて、ギリーとマーニーの両方の勉強を教えていたこと、マーニーが風車に行った時、捜索隊が探したけど、結局はエドワードが見つけたこと、などです。

      そしてマーニーは寄宿学校へ生かされ、ばあやはマーニーに酷いことをしていたことがバレ、辞めさせられたとかいうことでした。

      マーニーはエドワードと結婚します。

      そして子供を一人もうけます。

      でも第二次世界大戦が始まり、爆撃を避けるために5歳か6歳でマーニーの子供はアメリカに避難させられます。

      これも原作と映画では大きく違うところですよね。

      映画ではマーニーの病気が悪化し、とても育てられないので寄宿舎がある学校に行かされることになっていますから。

      そしてもうすぐ13歳になる頃に帰ってきたマーニーの子供は、子供時代に両親と過ごさなかった、そして父親が亡くなったために「両親から自分が愛されること」という大切な時間を持つことができず、マーニーと仲違いし、家出をし、結婚できる年齢になるとすぐ結婚したのです。

      相手は黒髪と黒い目をしたハンサムな男性だったけど、すぐに離婚してしまうのです。

      そして次の結婚相手との生活をする時から、アンナはマーニーに育てられた、ということになっています。

      そして悲劇は起こります。

      マーニーの娘は新婚旅行中に自動車事故で夫婦共々亡くなってしまうのです。

      マーニーは赤ちゃんを育てることで娘を育てられなかったから、第2のチャンス、と張り切りますが、結局、自動車事故でのショックから重い病気になり、亡くなってしまうのでした。

      おばあちゃんが亡くなった時、その子供は3歳くらい。

      子供のためのホームへ送られます。

      そして2、3年してひと組の夫婦がその女の子を引き取ったのです。

      その子の名前は「マリアンナ」。

      でもなかなか懐いてくれなくて、「お母さん」と呼んで欲しいのに「おばちゃん」と呼ぶのです。

      その人はどうしてもその子を自分の本当の娘だと思うために、その子の名前を変えるのです。

      でもすっかり変えてしまった訳ではなく、後ろの半分だけ使うことにします。

      そう、「アンナ」です。

      ここで「アンナ」という名前の由来が分かる訳です。

      これは映画には出てこない展開ですよね。

      映画の「杏奈」は名前の由来は全くなかったですからね。

      ギリーは自分が描いた絵をアンナにあげます。

      アンナは元気になって、自宅へ帰ります。

      でも、「おばちゃん」から「お母さん」と呼び方が変わったりする場面はありませんでした。

      久子さんとギリーの登場シーンやイメージもだいぶ違っていたし、映画では女の子とそのお兄さんの2人兄妹なのに、5人も兄弟がいたところも違っていました。

      ずいぶん違う所があるのに、重要なポイントでは上手く原作を再現していて、脚本家の手腕のほどがうかがい知れました。

      全く、脚本を書いた3人、丹波圭子さん、安藤雅司さん、米原宏昌さんはすごいです。

      イギリスを北海道に舞台を変えるのはずいぶん苦労したと思いますし、原作の良さを活かしながら、原作を上手く変化させていって、ジブリ映画らしい映画を作り上げた点も素晴らしいと思います。

      ジブリ映画らしい、と特に思ったところは、美味しそうなトマトを収穫しているところとかですね。

      posted by: MYU | 読書 | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - |

      ジブリ映画「思い出のマーニー」と原作のジョーン・ロビンソン著の「思い出のマーニー」上巻を比較

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        評価:
        ジョーン ロビンソン
        岩波書店
        コメント:ジブリ映画「思い出のマーニー」の原作です。映画との違いを楽しみながら読むと、より一層面白いと思います。原作も好きだけど、映画のほうがもっと好き、と思った本でした。

        JUGEMテーマ:読書

        ジブリ映画「思い出のマーニー」はとても面白かったです。
         
        試写会で観たあと、もう一度観に行ったほどです。
         
        そして原作を読んでみたくなりました。
         
        「思い出のマーニー」は外国が舞台で、それをジブリ映画では北海道に設定した、という事くらいしか知らなかったので、どう原作と違うのだろう?と思って読み始めたら、思った以上に相違点がありました。
         
        このブログでは、どこが違ったか、という点に絞って説明したいと思います。
         
        もし映画を観て、原作はどうなんだろう?と思った人向けです。
         
        ですが、原作を自分で読んでみたい、という人は読まないでください。
         
        そして、このブログを見て、原作が読んでみたくなる人がいる事を願って書きます。
         
        -------------------------------------------------------
         
        杏奈は「アンナ」と呼ばれていて、原作と同じです。
         
        ただ、漢字ではなく、カタカナです。
         
        これは日本人にも外国人にも受け入れられる名前だったのが良かったんだと思います。
         
        まあ、最後に「アンナ」と呼ばれている理由が分かるのですが、それは最後のお楽しみなのです。
         
        一番の違いは「アンナは絵を描かない事」でした。
         
        映画の杏奈は絵を書く事が大好きで、スケッチブックをいつも持ち歩いていたのに、これは大違いでした。
         
        そして久子さんに当たる人は上巻では登場しません。
         
        喘息持ちで痩せすぎてしまったアンナを、療養させるために田舎のおばさんの家に行ったアンナですが、映画では夏休み期間中、ということになっていますが、夏休みが始まる6週間前からアンナは学校に行ってなくて、学校を休んでいます。
         
        アンナ本人は、旅に出た訳をこう語ります。
         
        「何も考えずにいる事」そして「やってみようともしない事」のせいだと。
         
        そして田舎へ到着です。
         
        映画では人の良さそうなおじさんとおばさんが迎えてくれます。
         
        本当におおらかで優しそうなおじさん、おばさんに観ている方は「怖いとか、意地悪なおじさん、おばさんだったらどうしよう」という悩みから解放されます。
         
        「ああ、いい人たちそうで良かった」と。
         
        そしてぐちゃぐちゃに散らかった車で移動します。
         
        その時、サイロについておじさんが「おばけがでるらしいぞ〜」とかお茶目な感じで言うのです。
         
        ですが、原作はそうではありません。
         
        「普通の」おばさんが迎えに来て、バスで家まで行きます。
         
        おじさんの職業は不明です。
         
        映画では木のふくろうとか、木を使った職業をやっていましたが、原作ではほとんどおじさんは出てきません。
         
        分かるのは「プロレスが大好き」って事くらいです。
         
        そして到着したアンナの部屋は映画では「昔、自分の子供が使った部屋」で、その部屋を出てバルコニーから見える景色に杏奈は感動していましたが、原作ではそんな場面は出てきません。
         
        そもそも、この夫婦には子供がいない、という設定になっているのです。
         
        アンナが養母の事を「おばちゃん」と呼ぶのは一緒ですが、おばさんは「養いかあちゃん」と呼びます。
         
        そして杏奈は一人っ子でしたが、アンナには年の離れた兄がいるのです。
         
        住んでいるのはロンドンで、おばさんはペグさんといいます。
         
        ペグさんはいつでもアンナの事を「いい子ちゃん」と呼ぶのです。
         
        そして茶色い海鳥が「ピティーミー! オー ピティーミー!(あたしを可愛そうだと思ってよ、思ってよ)」と鳴くのを聞きます。
         
        映画では「サイロ」のところが「風車」になっています。
         
        原作はイギリスが舞台なので、大きな風車があってもおかしくないですが、北海道だとちょっと違和感がありますよね。
         
        そこで脚本家は「サイロ」にしたのだと思います。
         
        北海道は牧畜が盛んですから、この変換はいいな、と思いました。
         
        映画では十一(トイチ)という、全く喋らないおじさんが出てきます。
         
        結構ガタイ良く描かれていますが、原作では「ワンタメニー・ウエスト」という名前で、痩せて、シワだらけで、背中の曲がった小さなおじいさんなのでした。
         
        そして「ワンタメニー」という名前は既に10人の子供がいたお母さんが、「余りっ子」という意味で「ワン・トゥ・メニー」を早く発音すると「ワンタメニー」になるので、そういう名前になったんだ、とおじさんが言います。
         
        なので映画でのこの人の名前が「十一」という、11を表す名前だっていうのには納得がいく訳です。
         
        よく考えたな、とちょっと感心しちゃうネーミングですね。
         
        そして十一は一切、喋りませんが、ワンタメニーは「寒いか?」と喋る場面があります。
         
        杏奈はおばちゃんが用意したハガキをどっさりおばちゃんが勝手に入れて持っていましたが、原作では持たされていなく、郵便局でポストカードを買って、それをおばちゃんが気に入ってくれるといいな、と思ってハガキを書くシーンがあります。
         
        そしてキスの印として「×」を2つ書きます。
         
        それから、七夕のお祭りはありません。
         
        だから太った女の子と知り合うのは、その子のお母さんがその女の子(サンドラ)を連れておばさんの家に来た時なのです。
         
        そしてトランプゲームをする、という具合です。
         
        ワンタメニーはまた、ある時喋ります。
         
        「あの人らあ、もうじき、来るだよお、きっと」と言うのです。
         
        「だれが?」と聞くアンナに「“湿っち屋敷”を買った人らあ」と答えるのです。
         
        十一は一切喋らないので、この点もかなり違いますよね。
         
        そしてアンナはサンドラのおうちに行く機会があるのですが、そこでサンドラはアンナをかなり嫌っていて、アンナは「ふとっちょぶた」と言ってしまいます。
         
        これも映画の場面とは随分違いますよね。
         
        映画では七夕祭りの時に、太った女の子が杏奈の短冊に書いたのを見て、それから目が青いのに気付いてみんなに言おうとした時に、「ふとっちょぶた」と言ってしまって、それに対して女の子は「あなたは“あなたの通りに見えてるのよ”」と言います。
         
        そして「これでおあいこだから仲直りしましょう」と言うのですが、杏奈は逃げ出してしまうのです。
         
        そして女の子の母親がおばさんのうちの怒鳴り込んでくる、という話になっています。
         
        でも祭り自体無いのです。
         
        七夕まつり、という日本独特のお祭りに参加する、という設定にすることもまた、脚本家の素晴らしい思い付きだと感じました。
         
        あと、イギリスならではの言い回しだと思うのですが、おばさんが「ベットを降りるとき、反対側から降りたね」というセリフが出てくるのですが、それは「機嫌が悪い」という意味だそうです。
         
        そしていよいよマーニーと出会います。
         
        ばあやと2人の召使の話になるのですが、2人は映画では双子になっていますが、原作では双子ではないのです。
         
        そして、リリーとエティーという名前で、リリーは優しくて、エティーは意地悪だとマーニーは言います。
         
        それはリリーがエティーの彼氏を取っちゃったからだとも。
         
        そして恐ろしいうらぶれた風車に連れてったのはエティーだけだとも。
         
        でも天候が荒れて、風車に行く前に帰ってきてしまう、というのは同じでした。
         
        それから犬の存在です。
         
        マーニーのうちには「プルート」という番犬がいて、マーニーはその番犬をすごく怖がっています。
         
        これも映画ではありませんでした。
         
        映画では犬など飼っていませんでしたから。
         
        そして舟を漕ぐ練習をマーニーと杏奈はしますよね。
         
        その時、マーニーは急に杏奈に漕ぐのを任せてボートの端に立って気持ちよさそうに腕を広げる、印象的な場面があります。
         
        でも、原作にはそれがありません。
         
        でもおばさんのうちでの事を思い出そうとしたら、意識が遠のいて、マーニーがいなくなり、アンナは消えてしまった、とマーニーが思う場面は一緒でした。
         
        そして映画ではおおらかで懐の深い、愛情溢れたおばさんが描かれていましたが、原作ではアンナが太った女の子に対して「ふとっちょぶた」と言ったことに対して腹が立っている場面があります。
         
        マーニーのおうちでパーティーを開いている時、アンナはシー・ラベンダーを売りに来たこじきむすめと紹介されます。
         
        でも、古い茶色いショールを持ってくるのですが、それはばあやのものではなかった様で、ばあやに怒られる場面は出てきません。
         
        だから、それに怒ってばあやがマーニーを閉じ込めてしまうこともないのです。
         
        映画ではショールがばあやのものだとバレた途端にマーニーと杏奈は逃げて、マーニーの部屋にばあやを閉じ込めてしまう、という面白い場面があったのですが、それは原作にはない設定だったのです。
         
        そしてマーニーの父親、母親の紹介がありません。
         
        ただ、背の高い軍服姿の男の人、青いドレスを着た女の人、としか書かれていません。
         
        それから、アンナに背の高い軍服姿の男の人がお金じゃなくてバラの花束を渡し、そしてその1本をアンナはショールの結び目に指すのでした。
         
        そしてアンナがぶどう酒で酔っちゃうのは同じですが、目が覚めた時は外ではなくて、みんなが踊っていた部屋でした。
         
        みんなは赤いカーテンの向こうへ行ってしまった、と書かれていました。
         
        それから、きのこ採りを提案するのはアンナで、映画ではマーニーが子供の頃、お父さんがきのこをいろいろ教えてくれたことになっていますが、原作ではきのこの場所はアンナのおじさんが「湿っち沿いに風車のそばへ行くとキノコ採りには一番いい」と言った事になっていました。
         
        そして風車が怖いマーニーはちょっと暗い顔をするのです。
         
        それからアンナが誕生した時の話になります。
         
        杏奈のお母さんはおばあちゃん(母親)が病気のために療養するために全寮制の学校に入れられ、卒業した頃には独立心が強く、母親と衝突ばかりして、できちゃった結婚で結婚し、自動車事故で夫ともども亡くなる、という設定でした。
         
        ですが原作では、お父さんはいなくなったことになっており、お母さんは他の人と結婚し、自動車事故で死んだことになっていました。
         
        そしてその頃にはもう、アンナはおばあちゃんに育てられていたのです。
         
        そしておばあちゃんも具合が悪くなり、どこかへ行ったけど、「すぐ帰ってくる」と約束したのに死んでしまったことに対して「お母さんも、おばあちゃんも私をおいていった」事に対して腹を立てていました。
         
        母親が死ぬ前に自分をおいていったこと、そしておばあちゃんも自分をおいていってしまった、ということに対して敏感になっている、という点は原作も映画も同じですね。
         
        ただまあ、原作ではお父さんは最初にいなくなっちゃったから、関係ないみたいでしたが。
         
        アンナはおばあちゃんの記憶がちょっとはあったという事です。
         
        映画に出てくる杏奈はもっと小さくて、赤ちゃんくらいだったし、おばあちゃんは娘が自動車事故で亡くなったことを気に病んで病気になって死んだ事になっていましたから、ちょっと違う展開だと感じました。
         
        あと、マーニーのいとこみたいな人は、エドワードという名前でした。
         
        上巻での映画との違いはこれくらいかな。
         
         
        これを読んで原作が読みたくなった人はいるでしょうか?
         
        それとも、もう読んだみたいなものだから、いいや、って思うかな?
         
        もう原作を読んでみた人は、ああ、確かにそうだった、と思うでしょうか?
         
         
        そして下巻では、もっと原作と映画での違いが出てきます。
         
        もう、ジブリ映画にした脚本家の脚色の仕方は素晴らしいと感じずにはいられないほどです。
         
        でもそれは次の機会に。
         
        原作、面白いです。
         
        映画と違うところを発見するのも楽しいし、どうして原作と映画では違うのかな?って考えるのも楽しい。
         
        原作、是非読んでもらいたいものです。
         
        より一層「思い出のマーニー」を楽しめると思うからです。
         
        ではまた、下巻の事を書くときまで。
         
         
         
         
         

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        posted by: MYU | 読書 | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - |

        1.「偽悪のすすめ 〜嫌われることが怖くなくなる生き方〜」 坂上忍 著 

        0
          評価:
          坂上 忍
          講談社
          コメント:彼の人となりがよく表現されている本です。テレビを見て、彼を知っている人も多いと思いますが、この本でより深く彼を知ることができます。

          JUGEMテーマ:読書

          俳優・タレントの坂上忍さんの著書、「偽悪のすすめ 〜嫌われることが怖くなくなる生き方〜」なるものを読みました。

          いつも、小説のような物語の場合はスラスラーっと一気に読めちゃうんですが、今回は勝手が違いました。

          坂上忍さんがどのような思考回路を持っているのか、というのがよく解りました。

          これは一緒かな、とか、これは違うかな、とか、いろいろ思いを巡らして読んでいたら、たった100ページくらいの本なのに、すごい読む時間を費やしました。

          バラエティ番組にひっぱりだこの坂上忍さんの書いた本、興味津々で読みました。

          かなりとんでもないことが書いてあって、驚きつつも、そこがきっと坂上さんの魅力なんだろうな、と感じました。

          まず、「はじめに」というタイトルの文章から始まります。

          そこで私が気になった事は、坂上さんが自分を誤解されていてもそれを気にしない人だという事です。

          それは私も一緒かなあ。

          だって、1回、もしくは数回会っただけでその人となりを理解できるはずはないという考えに賛同するからです。

          ややこしい人間である坂上忍さんの、どこがどうややこしいのかが読んでいくと紐解けていきます。

          「ブスは嫌い」発言などで毒舌で好きじゃない方もいるかもしれませんが、この本を読んでみれば、彼の人となりは理解できるのではないでしょうか?

          それが共感になるか、さらに嫌いになるかは別ですが・・・。

          ちなみに私は共感しました。

          その考え方、いいんじゃない?というのが多かったです。

          でも、これは違うよー!!と思った部分も無きにしもあらず。

          本当に坂上忍さんがややこしい方だということだけは、理解できました。

          まあ、単純な人間よりもややこしくて奥深い人間の方が理解のしがいがあるものです。

          というわけで、大変でしたがなんとか読破したので、感想を数回に分けて書いていこうと思います。

          今回はここまで。

          坂上忍さんのことをもっと知りたい方にはお勧めの本です。

          でも、女性として、坂上忍さんのことを男性(恋愛対象的な感じ)と捉えて好きになっている方にはおすすめできない本でもあります。

          小説と違って物語がないので、一章説ごとみたいに区切って感想を書いていこうと思います。

          私の読み終わっての感想は、最後に書かせていただきます。



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          桐生夏生の“女神記”を読んで 〜愛するがゆえの憎しみの深さ、そして神の存在〜

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            評価:
            桐野 夏生
            角川グループパブリッシング
            コメント:愛することとは。神と人間の違いとは。この世が対立した2つで出来ている、ということとは。「陰」と「陽」、生まれながらにして運命が決められてしまっている姉妹の行く末は…。

            JUGEMテーマ:読書

            黄泉の国の女神に使える一人の巫女。
            その巫女はなぜ黄泉の国の巫女になったのか。
            そして黄泉の国の女神はなぜ黄泉の国の女神にさせられてしまったのか。
             
            物語は貧しい南の島を舞台に始まります。
            陰と陽。
            昼の巫女と夜の巫女。
             
            姉妹は引き裂かれ、昼の巫女は誰もが認める美しい女性となっていきます。
            食料を届けるのが妹の役目です。
             
            貧しい島では満足な食事も得られないのですが、姉へ届ける食事の籠からはいつもいい匂いがし、美味しいものが入っていることが推測されます。
            でも決して見てはいけないし、食べ残されたものは崖から捨てねばなりません。
             
            もったいないと思いつつ、掟に従い、毎日食事を持って行って、前日の食事を回収し、捨てる日々。
            そんな時、忌まわしい家族として避けられているマヒトという青年に声をかけられ、弱ったマヒトの母親に残した食糧をあげることを主人公のナミマは決めます。
             
            でもマヒトの母親は子供を産みましたが男の子で、しかも生まれて直ぐに死んでしました。
            そこで今度は食べ物をマヒトとナミマが食べるようになります。
             
            掟を破っていることは承知していましたが、止められず、しかもとうとう男女の関係を持つのです。
            その間に昼の巫女が死に、ナミマの姉が継ぎます。
             
            その時にナミマは知らされるのです。
            自分が闇の巫女で、墓場から出ることができない存在だと。
             
            姉が「陽」、なので妹のナミマは「陰」として闇の巫女になる運命だったのです。
            しかし掟を破ってしまった今、ナミハはマヒトと脱出します。
             
            幸せを思い描きながら夜宵という女の子を産んだナミマでしたが、不幸が襲います。
            愛するマヒトに殺されてしまうのです。
             
            そして気付いたところは黄泉の国でした。
            黄泉の国の女神が支配する、浮かばれない魂が貯まる寂しい場所でした。
             
            なぜマヒトが自分を殺したのか、そして夜宵は無事育っているだろうか?
            どうしても知りたいナミマは毒蜂に姿を変え、自分が生まれた海蛇島に向かいます。
             
            そして知った真実に怒りと悲しみが沸き起こり、毒針でマヒトを殺します。
            黄泉の国へ帰ると、マヒトが魂の抜け殻となり、ナミマとの間にあった記憶を忘れて漂っていました。
             
            怒りをぶつけるナミマでしたが、マヒトは抜け殻となってしまっていて、鈍い反応しか返ってきません。
            イライラが募るナミマでしたが、どうすることもできず、黄泉の国を彷徨います。
             
            黄泉の国の女王はイザナミと言いました。
            イザナキという男の神とともに多くの神を産みましたが、火の神を産んでその火傷で死んでしまうのです。
             
            愛しい人を失ったイザナキはイザナミを追って黄泉の国に来ますが、ウジ虫の履い渡ったイザナミの死体を見て逃げ出します。
            離縁を申し立て、黄泉の国にイザナミを閉じ込めてしまいます。
             
            そしてその時にイザナミは毎日千人の人を殺すと誓い、それに対してイザナキは千五百の子供を産む、といいます。
            そして何年も、産みと殺しが続いたのでした。
             
            女神の憎しみは深く、神であることへの嘆きもありました。
            誰からも理解されない孤高の女神。
             
            一方、イザナキは人間の男に変身して子供を作りまくります。
            神なので年は取りません。
             
            使えてくれている従者との別れももうそろそろだと感じていた頃、その従者から思いもよらない事実を知らされます。
            それはイザナキの子供を産んだ女性が突然死ぬことが多い、という事実です。
             
            従者は真実を知りたがり、イザナキは自分が髪であったことなど、すべてを従者に話します。
            すると従者は提案したのです。
            「私を殺したら運命は変わるかもしれません」と。
             
            大切にしてきた従者を殺すことは躊躇われましたが、それにかけてみることにしました。
            そして意識が戻ったイザナキは身体が従者と入れ替わっていたのです。
             
            限りある命を得たイザナキは最南端にある島、海蛇島に向かいます。
            そこで夜宵という女性と恋に落ちます。
             
            イザナキはイザナミにしてしまったことを猛反省し、黄泉の国に謝りに出かけます。
            しかし黄泉の国の女神は許しませんでした。
             
            イザナキを黄泉の国に閉じ込め、生きながらにして暗闇で恐怖を与え続け、死なせてしまいます。
            イザナミの憎しみは想像をはるかに超えたとても深いものだったのです。
             
            ナミマはその様子を見て、ますますこの女神に仕える気持ちを強くするのでした。
            命が限られているから人間は尊く、美しいものなのかもしれません。
             
            未来永劫人を殺す使命を与えられた女神の悲しみ、憎しみは測りしれません。
            救われることはないでしょう。
             
            神に生まれてしまったことに対する拷問とも取れます。
            黄泉の国の女神がとても哀れです。
             
            彼女は毎日、千人の人を殺します。
            それが仕事だから。
             
            なんと悲しく切なく、苦しい仕事でしょうか。
            永遠に続くその作業を、独り淡々とこなさねばならない重荷はほかの誰にも分かち合えないのです。
             
            ナミマはせめて傍にいるだけでも、と仕える決意を新たにします。
            ナミマもとても悲惨な人生だったと思います。
             
            でもそれ以上に黄泉の国の巫女の背負った重荷は重たく、冷たく、そして憎しみが溢れかえり、悲しみも溢れかえっています。
            誰も変わることのできない、悲しい運命。
             
            とても読みごたえのある本でした。
            途中、止められなくなって、一気読みしちゃいました。
             
            悲しい、悲しい物語でした。
            救われることのないまま終わってしまう、本当にやるせない物語でした。
             
            どうしてナミマが殺されたかを知った場面では、そういう事か!!と驚きましたし、毒針でマヒトを殺した時は殺されて当然の仕打ちだと思いました。
            でもマヒトの魂の抜け殻がナミマを苦しませることになって、ナミマは本当に可哀想だと感じました。
             
            黄泉の国は現世に想いを残した魂が集まる場所だそうです。
            悔い無く人生を終え、天国へ行ける魂になりたい、と願わずにはいられない物語でした。



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            posted by: MYU | 読書 | 14:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - |

            三浦明博の“感染広告”を読んで 〜ネット社会はまだまだ無整備だから怖い〜

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              評価:
              三浦 明博
              講談社
              コメント:ネット社会で起こりうるかも知れないある犯罪。ビールのリニューアル広告の裏に隠された悪意とは?驚愕の結末に震え上がること間違いなしな作品。

              JUGEMテーマ:読書

              三浦明博の“感染広告”を読みました。
              ビールのリニューアルを大々的にネットで広告することを思いついた主人公の堂門はいろいろな作戦を練って広告をインパクトのあるものに仕上げます。
               
              そしてネット広告は多くの人に受け入れられ、広告は成功したかに思われます。
              しかし「バドバーク!!」とビールの商品名を喚きながらだんせいが電車に飛び込んだ事件から、警察が介入してきます。
               
              バドバークを飲み、薬物をやっている人が自殺する事件が何件か起こり、事態を重く見た経営陣はネット広告を中止します。
              窮地に追い込まれる堂門。
               
              どうしてそんな現象が起こったのか、独自に調査し始めます。
              力強い恋人の存在を感じながら少しずつ事件の謎に迫っていきます。
               
              いろいろなことが仕組まれた広告であったことが次第に分かり始めます。
              それは昔から使われていた方法をもう一度やってみたりしたものでした。
               
              でもそれが事件と関係しているとは堂本は思えず、さらに調査をします。
              謎を解く鍵になったのは飼い猫でした。
               
              普段は全然泣かない飼い猫が、バドバークの広告のとある部分だけに反応して鳴くのです。
              そこで音声に注目した堂門がとった行動は、音声解析、というものでした。
               
              そして解析した結果、驚くべき事実が判明するのです。
              それはそれは恐ろしいものでした。
               
              これを仕組んだ人は相当の恨みを持った人物と判断できました。
              そしてそれがやれる人は一人しかいないことに、堂門は気付きます。
               
              頓挫したビールのリニューアル宣伝はお疲れ様会を開かれて幕を閉じようとしていました。
              その時、堂門は何を思ったのか、大麻を吸いながら最後にバドバークのネットCMを見ようと提案し、大麻を吸い始めます。
               
              隣にいた堂門の関係者も吸い始め、CMが流されます。
              そこで堂門に異変が起き、犯人は叫ぶのです。
              「そのCMを止めて!!」と。
               
              それは堂門が仕掛けた罠で、本当は大麻など吸っていなかったのです。
              そして堂門の関係者は実は警察官であったことも明かされ、何故こんなことをしたのか、という話になります。
               
              実は犯人は恋人を薬中の人に殺されていたのでした。
              だから一人で薬物撲滅運動をしようと考えたのです。
               
              でもそれが悲しみしか生まないことに気付き、自分の犯した罪の重さに気づくのでした。
              悲しむ人をもう生み出さないために自分がやろうとしたことは、結局悲しむ人を増やす結果になってしまったのです。
               
              「重いテーマ」だと感じました。
              薬中の人に無差別で殺されてしまった人は浮かばれないでしょうし、周囲に悲しみを巻き起こします。
               
              だからとて、薬をやっている人を自殺に追い込むことが正しいとは思いません。
              止めさせる方法を探るべきです。
               
              日本で薬物に犯されてしまっている人はたくさんいるのかな、と思います。
              ASKA容疑者は氷山の一角。
               
              ASKA容疑者から芋づる式に薬物を使っている人を検挙できたらいいな、と思います。
              警察の力に期待です。
               
              薬物に手を出すことは本当に止めよう、と心に誓いました。
              一時の快楽を求め、廃人になってしまうのは嫌です。
               
              大麻などの薬を使うことは、人間らしく生きることの放棄だと思います。
              抜け出せない蟻地獄にはまってしまう前に、皆さんも足を止めて踏み込まないようにして欲しいです。



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              posted by: MYU | 読書 | 12:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - |

              桐野夏生の“優しいおとな”を読んで 〜生き抜くことの難しさと強さ、そして親の愛とは何か〜

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                評価:
                桐野 夏生
                中央公論新社
                コメント:ホームレスの少年の孤独な生き方が強烈なインパクト!!生き残るためのサバイバルの凄まじさや地下に住む少年たちの生活など、読んでいて自分の平和な環境に安堵してしまう作品。

                JUGEMテーマ:読書

                桐野夏生の“優しいおとな”を読みました。
                読んでいて辛くなることが多かったです。
                 
                主人公の生き方が孤独すぎて痛ましく、悲しくなりました。
                誰も信じないで生きていこうとする少年の、それでも「生きよう」という力強さに惹きつけられました。
                 
                おとなには3種類しかいない。
                優しいおとなは滅多にいない。
                優しくないおとなからはすぐ逃げろ。
                でも、一番僕たちを苦しめるのは、どっちつかずのやつらだ。
                 
                これは少年が小さい頃育った子供たちのグループで教わったことです。
                教えたのは双子の兄弟、鉄と銅。
                 
                少年は劣悪な環境の中、なんとか生きていますが、ある時、鉄と銅を描いた絵を見つけ、自分が独りであることに恐怖を抱きます。
                今までは平気だった孤独が急に怖くなってしまうのです。
                そして鉄と銅を探す旅に出ます。
                 
                無我夢中で拳銃を老婆から奪い、向かった先は地下。
                そこで出会った大佐は実はその拳銃の持ち主で、拳銃を持っていた老婆はその妻だったのです。
                 
                地下に住む少年たちの仲間入りを果たした主人公は鉄と銅を探しますがいません。
                手がかりを知っている錫という少年に会うために行動を起こしますが、それで大佐は拳銃自殺をしてしまうのです。
                 
                出会った錫は地下にずっと住むことに決めた少年で、歌を作るのが得意です。
                鉄を知っている、という錫は思いがけないことを少年に言います。
                 
                鉄はいたけれど、銅は生まれてすぐに死んだと聞いた、と。
                少年は双子だと思っていたのは実は錯覚だったと気づき、混乱します。
                 
                そして自分の憧れが鉄を鉄と銅という双子に見せていたのだと確信します。
                自分が二人いたら心強いな、という気持ちが双子という幻覚になっていたのです。
                 
                哀れな少年は孤独に生きながらも、本当は仲間が欲しかったのです。
                でも人を信じられずにいて、孤独を突っ走るしかなかった。
                可哀想だな、と思いました。
                 
                そして鉄と出会うことができますが、鉄は頭を強く打ち、子供に返ってしまっていました。
                だけども強い仲間を得た少年は鉄と共に生きる道を選びます。
                 
                そして世話になったことのあるケミカルという女性の赤ちゃんが自分を痛めまくったボンズという男に拐われたことを知り、ケミカルと鉄ともに地下に戻ります。
                拳銃が少年に当たり、倒れた少年は病院で意識を取り戻します。
                 
                耳は聞こえるのに体が全く動かない少年。
                植物状態になってしまっていたのでした。
                 
                そして明かされる真実。
                主人公の少年、鉄、ケミカルは複数の親子、あるいは他人が一緒に暮らして、完全に共同で保育に当たると子供はどうなるかの実験の対象者だったことを。
                 
                親が親と名乗れず、子どもを育てる。
                子供の名前も自分で付けられない。
                 
                平等に愛情を注ぐことを求められた親たち。
                そして共同で生活する子供たち。
                 
                そこにどんな愛情が育つのか。
                徹底的な平等愛の末にあるものは何か?
                 
                恐ろしい実験だけど、親によって子への愛情のかけ方は違うので、そこに差が生まれるとすれば、平等に愛情を注ぐことで差を生み出さないようにする、という考え方はアリなのかもしれない、と思いました。
                虐待や育児放棄を受けるよりはずっとましだと思います。
                 
                子供は成長することで、いろんなことを学んでいく。
                そして大人になっていく。
                その前に虐待などで死んでしまう子供もいますが。
                 
                成長していく過程で学んだことは親の愛情以外のこともいろいろあるから、一概に平等愛を受けたから差が生まれない、なんてことは起こらないのかな、とも思いました。
                子どもを育てるとき、大切に育てられた子供とそうではなかった子供では愛情に対する思いは全然違ったものになるのかもしれません。
                 
                でも「愛」って後からも見付けられます。
                この本は「愛」って何かな、ということを考えさせられる本でした。



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                posted by: MYU | 読書 | 09:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - |

                有栖川有栖の“火村英生に捧げる犯罪”を読んで 〜火村准教授の推理が面白い〜

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                  評価:
                  有栖川 有栖
                  文藝春秋
                  コメント:8つの小説からなる短編集です。どれも面白く、楽しませてもらいました。気楽に読めて、でも結末に「おお」と驚ける作品ばかりです。

                  JUGEMテーマ:読書

                  有栖川有栖の“火村英生に捧げる犯罪”を読みました。
                  有栖川有栖の小説、はまっています。
                   
                  朝日新聞に探偵ものの小説の歴史が書いてある記事があったのですが、それにちゃんと有栖川有栖の火村准教授の名前もあり、結構有名な推理小説なんだなあ、と実感しました。
                  まあ、面白いので人気があるのは分かりますが、結構広く認知されてる作家さんなんですね。
                   
                  今回読んだ本は8つの小説からなる短編集です。
                  どれも面白かったけど、最後の“雷雨の庭で”が一番面白かったかな。
                   
                  1つ目の“長い影”は廃工場から不審者が出てくるのをある男性が見かけるのがきっかけで始まります。
                  そこには不審な格好を死体があったのです。
                   
                  昔の事件に関係があるかもしれない、と思われ、捜査を進める内にある事が分かります。
                  絶対のアリバイは仕組まれたものだったのです。
                   
                  それを見事に解いた火村准教授の推理は素晴らしかったです。
                  それにしても時効って海外にいる間は適用されないって、そう言えばそうだったな、と思い出したのでした。
                   
                  2つ目の“鸚鵡返し”はいつも返事をする時にオウム返しで質問に答える変な人から付けられた題名です。
                  これは火村准教授が有栖川有栖に語りかける形で物語になっています。
                   
                  とても短い短編で、さらっと読みました。
                  オウムって人の言葉を覚えたりしますが、言葉だけを覚えるんじゃない、というのがポイントの事件でした。
                   
                  それにしてもいつもオウム返しで返事をするような人はいたら鬱陶しそうですね。
                  そんな人がいたらやだな…。
                   
                  3つ目は“あるいは四風荘殺人事件”です。
                  これは亡くなった推理小説界の重鎮が書き留めていた推理小説に端を発します。
                   
                  その小説の結末はどうなるのか?
                  そこまでは書かれていない。
                   
                  その作家の娘さんが有栖川有栖に助けを求めるお話です。
                  そして火村准教授が登場して…。
                   
                  推理小説の中の推理小説のお話です。
                  なんかそういう設定も面白いですね。
                   
                  4つ目は“殺意と善意の顛末”です。
                  殺された人の善意が犯人逮捕につながる、という事件。
                  とても短い小説でした。
                   
                  5つ目は“偽りのペア”。
                  ペアって言うとおんなじもの、って考えますよね。
                   
                  でも色違いでおんなじ柄だったら、それはペアって言うのでしょうか?
                  そこがポイントの事件でした。
                   
                  それにしても、付き合ってみたら優しそうだった彼が豹変した、みたいな話はよく聞くのですが、そういうのって実際結構あるのでしょうか?
                  女性の場合もそうですけど、付き合ってみて本性が粗悪で、しかもストーカーまがいになられたら最悪ですよね。
                   
                  それで殺されたりでもしたら、悲しさを通り越して怒りですが、実際ストーカー事件って結構起こっているし、有り得なくもないのかもしれないですね。
                  相手の性格を見極めるのって難しそうですけど、こじれる前にそういう人とは関わりたくないものです。
                   
                  6つ目は“火村英生に捧げる犯罪”です。
                  表題作ですね。
                   
                  でも実は本当のターゲットは有栖川有栖だった、という面白いお話です。
                  読んでみて、意外な程稚拙な罠に引っかかった自分が情けなくなりました。
                   
                  7つ目は“殺風景な部屋”です。
                  何にもない地下室である男が殺されていた、という話です。
                   
                  ダイイングメッセージ。
                  推理小説ではよくありますが、殺された被害者もダイイングメッセージを送っていた。
                   
                  それが何なのか突き止めるのに火村准教授が活躍します。
                  私もちょっと引っかかっていた部分だったので、謎が解けて、なるほどなあ、と思ったのでした。
                   
                  8つ目、最後の小説は“雷雨の庭で”です。
                  私はこの本の小説の中で一番この話が気に入りました。
                   
                  パソコンで家にいながらにして仕事ができる時代でもある昨今に起きた犯罪です。
                  アリバイは完璧、と思われたある人物が実は犯人だったのです。
                   
                  それは被害者が時間を超えて亡くなったから。
                  意外な結末に、何度も読み返してしまったくらいでした。
                   
                  でもご近所トラブルって嫌なものですね。
                  簡単に引越しはできないからこそ、困ったものです。
                   
                  以上、8つの短編集でした。
                  軽い感じで読めるからこそ、逆にはまります。
                   
                  また火村准教授のシリーズを読みたいなあ、と思いました。
                  まだまだ読んでない作品がいっぱいあるので、楽しみが増えた感じで嬉しいです。




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                  posted by: MYU | 読書 | 13:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - |

                  有栖川有栖の“長い廊下がある家”を読んで 〜4話目の緊張感がたまらない!!〜

                  0
                    評価:
                    有栖川有栖
                    光文社
                    コメント:4つの話から成っているこの小説。4話目の“ロジカル・デス・ゲーム”の緊張感が半端ないです。ドキドキしながら読めます。ほかの作品も秀逸で面白いです。

                    JUGEMテーマ:読書

                    有栖川有栖の“長い廊下がある家”を読みました。
                    有栖川有栖、最近のお気に入りの作家です。

                    この本は4つの話で構成されています。
                    第一話目は“長い廊下がある家”。
                    本のタイトルにもなっている話です。

                    そこは心霊スポットでした。
                    2つの家を繋ぐ長い地下の廊下。

                    病弱な若い女性が母の反対にあいながら、ちょっと離れた隣の家に住む青年画家との逢瀬に使っていたという地下の廊下。
                    画家は女性と恋をしていましたが、ある時違う女性に恋をし、逢瀬を拒むように。

                    女性は死に、午前零時になると長い廊下を渡って来る幽霊となった、と噂されていました。
                    そこに心霊現象関係の記事を書く取材班が待機しているところへ迷い込んだ一人の学生。

                    そこで起こった殺人事件。
                    人里離れた廃村で起こった殺人事件は犯人が限られますが、みんながアリバイがあるという事に。
                    誰が犯人か?

                    そのトリックは廃村らしいもので、解決してみると、ははあ、なるほどなあ、と思ったのでした。
                    不気味な長い廊下が生み出した殺人事件。

                    第2話目は“雪と金婚式”。
                    金婚式というのは結婚50周年を祝う式です。

                    仲の良い老夫婦が金婚式を幸せをかみしめながら送っていたその時に殺人事件は起こります。
                    ちらちらと淡い雪が降る、そんな夜でした。

                    離れに住む義理の弟が殺されていたのです。
                    見つけたのは次の日に訪ねて行った婦人でした。

                    義弟はねずみ講の様な事をやって2人の青年から恨みを買っていました。
                    警察はそのどちらかが犯人ではないかと目星を付けます。

                    しかしどちらもアリバイがある。
                    ですがそれを解く鍵があったのです。

                    それは夫婦が記念日を素敵に過ごすために用意されたあるものの存在でした。
                    夫は犯人に気付くも、不慮の事故で一時的な記憶をなくしてしまい、犯人は謎となったのでした。

                    ですが当時の現場の状況から、ある事が分かります。
                    そして事件は解決へと向かうのです。

                    記念日に降る淡い雪と夫の優しい心が招いたアリバイ成立。
                    それを崩して犯人確定に至る場面は読んでいて爽快でした。

                    第3話目は“天空の眼”。
                    これは火村准教授が出てこない、有栖川有栖のみが事件を解決するという、ちょっと異色の作品。

                    心霊写真だと言われ、その写真を撮って以後、不幸なことが連続して起こると嘆く女子大生。
                    その相談が有栖川有栖に回ってきます。

                    そしてある場所で起きた殺人事件。
                    それはなぜか女子大生の知り合いに通ずるもので、心霊写真の仕業か?と思わせぶりな感じのお話。

                    2人の男子大学生の間の確執。
                    有栖川有栖は心霊写真を撮影したという場所を訪れます。

                    そこでわかる真実にびっくり。
                    有栖川有栖だけで事件が解決となる、ちょっと異色のお話でした。

                    最後の話は“ロジカル・デス・ゲーム”。
                    これは特にこの本の中でも面白かった話です。

                    命を掛けたゲームに挑まざるを得なくなった火村准教授。
                    緊迫感の中で進められるゲーム。

                    一人分の致死量のトリカブトの毒が入ったグラスが一つ。
                    他の二つは無毒。

                    3つのグラスのうちどれを選ぶかは火村次第。
                    毒入りを飲んだら待つのは死。

                    最後の最後まで緊迫感があり、ドキドキしっぱなしで一気に読みたくなる作品。
                    生き残るにはどうすればいいのか?

                    モンティ・ホール問題と言われる確率の問題。
                    どれを選ぶか?

                    最後に知らされる真実に命を掛けた火村の咄嗟の思考力に脱帽。
                    秀逸な作品。

                    全部読んでますます有栖川有栖の作品が気に入っちゃった私はまたも有栖川有栖の作品を読んでいるのでした。
                    好きな作家の一人に新たに加わった有栖川有栖。
                    まだまだ読んでいない作品がたくさんあるので読めるのが楽しみです。




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                    posted by: MYU | 読書 | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - |

                    有栖川有栖の“高原のフーダニット”を読んで 〜ハマること間違いなしなシリーズもの!!〜

                    0
                      評価:
                      有栖川 有栖
                      徳間書店
                      コメント:ミステリー作家、有栖川有栖の初の中編集。読み応えばっちりで面白いです。シリーズものなので、今までもう出ている本を片っ端から読みたくなりました。

                      JUGEMテーマ:読書

                      「有栖川有栖」という変わった名前の作家を知っていますか?
                      推理小説の作家です。

                      今回、初めてこの作家の作品を読んだのですが、これが結構面白い!!
                      しかもシリーズものなので、シリーズ全作品が読みたくなりました。

                      この作家はもしかしてナルシスト!?と思ったのですが、小説に自分が登場するんですよね。
                      ちゃんと、ミステリー作家有栖川有栖として登場するんです。

                      有栖川有栖の作品は大きく分けて臨床犯罪学者・火村英生が探偵のシリーズと、英都大学推理小説研究会の部長・江神二郎が探偵のシリーズの二つがあります。
                      私が今回読んだのは火村の方です。

                      一般に『作家アリス』シリーズ・『学生アリス』シリーズと呼ばれるこの2シリーズは、お互いにパラレルな世界であり、『作家アリス』に登場する有栖川有栖が『学生アリス』シリーズを執筆、『学生アリス』に登場する有栖川有栖が『作家アリス』シリーズを執筆しているという設定になっているんだとか。
                      面白い設定ですよね。

                      今回読んだ“高原のフーダニット”は初の中編小説集だそうで、3つの小説から成っています。
                      どれも良く練られた作品で、犯人が誰なのか、ドキドキワクワクしながら読むことができました。

                      最初の「オノコロ島ラプソディ」はトリックが面白かったです。
                      ああ、確かにそんなことも出来るんだったなあ、と思った次第です。

                      「ウソをつかない」事を信念とした元刑事の証言、アリバイとして有力ですよね。
                      でもそれは裏を返せば自分に不利になることは話さなければいい、という事にも繋がるんですね。

                      訊かれたら答えなければいけないが、訊かれなかったら答えなくてもいい。
                      そこが盲点な小説でした。

                      2つ目の「ミステリ夢十夜」は10個のショートショート、って感じです。
                      10個の夢が収録されています。

                      これは有栖川有栖の見る夢はこんな風だよ、という事らしいです。
                      ミステリー作家の夢はやっぱりミステリーっぽいんですね。
                      10個のどれもが面白かったです。

                      そして最後の「高原のフーダニット」。
                      「フーダニット」とは「Whodunit(誰がやったか)」という意味で、犯人探し小説、ひいては本格推理小説を意味するそうです。

                      高原で民宿権喫茶店を経営するお店の名前が「風谷人」で「フーダニット」と読む事になっていて、経営者のミステリー好きが伺える名前になっています。

                      事件では双子の一人が殺害され、その犯人は双子の片割れなのですが、自主することを決意して、以前お世話になった火村に電話をかけてきます。
                      ですが次の日に死体となって見付かるのです。

                      誰が殺したのか?
                      高原の住民は騒然となります。

                      疑わしい人物が数人いて、火村と有栖川は聞き込み調査などを行い、火村は犯人にたどり着きます。
                      そしてそっと自主するように勧めるのです。

                      それは双子の片割れの犯人が自首しようとして出来なかったから、せめてその彼を殺した犯人には自主してもらいたい、と思ったからの様でした。
                      トリックを解く鍵になるメモとかも面白い形で見つかり、とても楽しめた小説でした。

                      3つ読んでみてどれも面白く、もっと有栖川有栖の作品を読んでみたいと思いました。
                      なかなか読書の時間の取れない毎日ですが、なんとか時間を確保して読みたいです。

                      でも読み始めるとはまってしまって全部読むまで気が済まなくなって時間の経つのも忘れて読んじゃうのが心配です。
                      他の事が何もできなくなっちゃいますから。
                      まあ、寝込んでるよりかはずっといいかな、とは思いますけれど。

                      いい作家と出会えて嬉しいです。
                      これからどんどん有栖川有栖の作品を読んでいきたいです。




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                      posted by: MYU | 読書 | 19:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - |

                      超高齢化社会の日本の未来を考えさせられる驚愕の小説!!“廃用身”

                      0
                        評価:
                        久坂部 羊
                        幻冬舎
                        コメント:介護の現状、そして未来について否応なしに考えさせられる本です。衝撃的な内容が続いて心臓に悪い気もしますが、どんどん物語に引き込まれていくと思います。とても興味深い本です。

                        JUGEMテーマ:読書

                        ミステリーには犯人を知って最後に驚く、ということがしばしばありますが、ミステリーではない小説で最後の最後で息が止まるほど驚くことってあまりないのではないでしょうか?
                         
                        でも私は体験しちゃいました。
                        もう、びっくりしすぎて危うく出版社に電話をかけるところでした。
                         
                        まあ、そもそも私がノンフィクションだと思ってずっと読んでいたのが、最後になって「この物語はフィクションです」と書かれていてパニクっただけなのですが…。
                        でも本当に、ノンフィクションだと思って読んでいたし、実在の出来事であるかのように書かれていたので見事騙されてしまったのです。
                         
                        “廃用身”という言葉を知っていますか?
                        麻痺して動かず回復しない手足をいうそうです。
                         
                        医学用語なんだそうです。
                        でもネットで検索してもその単語はこの本にしか登場しないようで、本当に医学用語なのか分かりませんでした。
                         
                        この本は2章に分かれており、1章はデイケアの医師が書いたもの、2章はその医師の書いたものを出版するために医師の書いたものに付け加える形で書かれている編集者の書いたものとなっています。
                         
                        1章は介護への問題提示が山ほどあり、これからどんどん高齢化が進んでいくのに、今でも既にこんなにもいろんな問題が生じているのか、と驚きを隠せない、衝撃的な内容が盛りだくさんでした。
                         
                        介護職に就く人の不足や介護職をする人の大変さ、家での介護の大変さ、老人虐待、痴呆症、老人の見栄と虚勢など、超高齢化社会の現在に起こっている様々な問題が取り上げられていて、どれも他人事ではないんだ、と恐怖におののきながら読みました。
                         
                        介護職は重労働な割に低賃金だとみんな認識していることと思います。
                        この本に書かれている介護職の人の働き方を読んで、本当に重労働なんだということがすごく良く分かり、もっと賃金を上げるべきだと感じました。
                         
                        むしろ何故こんな低賃金なのかが疑問です。
                        これから一番たくさん必要な職業なのに。
                         
                        ここからはネタバレですので、読みたくない人はここでストップしてください。
                         
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                        そんな中、主人公の医師、漆原はある事を思いつくのです。
                        それはもう動く可能性の無い体の部分(廃用身)を切り落としてしまえば、体重も軽くなり、廃用身にある痛みや病気も排除できて介護する側もされる側もいい事ではないか、ということです。
                         
                        体の重い老人は職員が動かすのにもすごく苦労します。
                        しかも床ずれなども酷く、手を焼きます。
                         
                        その老人に虐待が行われていることに気付いた漆原は思い切って廃用身の切断を勧めるのです。
                        そうすれば体が軽くなり、介護の負担も軽減され、虐待もなくなるのではないか、と。
                         
                        しかしそんな事は前例の無い事です。
                        しかも驚くべき内容です。
                        動かなくなって要らなくなったから切断してしまう、とは。
                         
                        究極の介護方法だと思いました。
                        廃用身は洋服を着たりする時も余計な方向に曲がったりして着せにくかったり痛かったりと、介護する側もされる側も密かにこの部分がなければ…、と考えるかもしれません。
                        でも実行するとなるとすごい決断が要ります。
                         
                        廃用身となっても自分の体です。
                        麻痺して動かず回復しない手や足でも切断は怖いです。
                         
                        ですが篠原はそれを実行します。
                        両足と片腕の切断。
                         
                        もちろんそんなことが世の中に認められているはずもありませんから、もぐりでやってもらうのです。
                        この先、どうなっちゃうのか、緊張に包まれながら読み進みました。
                         
                        すると意外な事にこの老人が明るく、元気になったのです。
                        切断された足の残った部分で器用に歩いたりして、切断して良かった、と周りの老人に朗らかに話すのです。
                         
                        篠原は介護負担の軽減を主に目的にしての切断だったので、老人が明るい性格になった、という作用は意外な事でした。
                        これによって、廃用身の切断がだんだん老人の希望の象徴のようになっていくのです。
                         
                        2例目は90歳のおばあさんでした。
                        片腕が動かず、また、言語障害がありました。
                         
                        最初に切断を受けた老人が手術後に明るくなった事から、自分もこの廃用身を無くせば展望が開けるのではないかと思ったようです。
                        そして手術は行われました。
                         
                        2例目のおばあさんは手術後、バランス感覚が向上しました。
                        これも廃用身切断の意外な効果でした。
                         
                        そして廃用身の切断は「Aケア」と呼ぶ事になります。
                        • は「Amputation」の「A」です。
                         
                        「Amputation」は「切断」の意味で、「ケア」は「介護」を表します。
                        「Aケア」は治療ではなく老人の生活の質を高めるものである、という考えから付けられた名前です。
                         
                        「Aケア」を受ける老人がデイケアで増え、身体能力が活発になった老人が増えます。
                        ペットボトル倒しなどのゲームの際に「Aケア」チームを作ると他のチームよりずっといい点数が出せる事も分かりました。
                        頭の回転も良くなった事も分かりました。
                         
                        これらの事について篠原は、廃用身に使われていた血液が必要なくなり、その分の血液が脳や他の手足に行き渡って活性化されたからではないか、と考えます。
                        脳も今まで廃用身に支配されていた部分が必要なくなり、他のよく使う分野へ転用されて能力が向上したのではないかと。
                         
                        だから言語障害が改善できたり、活発に動けるようになったと考えたのです。
                        それはありうるかもしれないな、と思いました。
                        それにしても随分と画期的な方法だ、と改めて思いました。
                         
                        私はこれがノンフィクションだと思って読んでいたので、Aケアが実際行われたんだと思っていました。
                        そして能力アップした老人がいるんだな、と信じました。
                         
                        Aケア、有りかも、と思ったのは確かです。
                        怖い事だけど、Aケアをすることによって得られる効果の方が切断の恐怖より増すのではないかと。
                         
                        そして究極のAケアが行われます。
                        それは老人自身の意思が確かめられないまま行われたAケアです。
                         
                        篠原は老人の意思をすごく尊重していました。
                        Aケアを無理やりやらせるのではなく、老人がしっかり納得した上で行うことを重要視したのです。
                         
                        ですが究極のAケアではそれができませんでした。
                        しかし両手両足切断という、究極のAケアが行われるのです。
                         
                        最後に「Aケア」がお年寄りの新しい福音となる事を願って篠原の書いた章は終わります。
                         
                        そして2章の“編集部注 封印された「Aケア」とは何だったのか”に続きます。
                        文章の最初に1章の文章が「遺稿」であると書かれています。
                         
                        あれ?篠原ってそんなにお年寄りだっけ?と思ってしまいました。
                        何で死んだ事になっているのか、読み始めた時点では全然分かりませんでした。
                         
                        2章を書いているのは篠原に「Aケア」について本を書いて出版しないか、と声をかけた編集者矢倉です。
                        「遺稿」の後を引き継ぐ形で綴られたこの章にも驚くべきことがたくさん書かれており、私は驚愕しながら読み進みました。
                         
                        そして週刊誌が「Aケア」について報道した事が分かりました。
                        それは悪意のある記事でした。
                         
                        「老人の手足を切断 戦慄のデイケア」とタイトルされた記事には手足のない老人の異様な光景を書いたり、わざとらしい周辺住民の悪意のある声を載せたり。
                        そしてこのような記事が次々と書かれ、篠原は無視を決め込みます。
                         
                        ですが反論の記事を載せる事を決め、記事が発表されます。
                        それと同時期に身内に捨てられた老婆がホームレスに拾われ、養われるものの、ホームレスが死に、老婆が保護されたのです。
                         
                        これは老人遺棄というものです。
                        アメリカでも同様の社会問題があり、「グラニー・ダンピング(おばあちゃん捨て)」と呼ばれているそうです。
                         
                        ここでAケアの必要性があるかもしない、とAケアに対して好意的な意見が出始めます。
                        そしてAケアにインスピレーションを受けたという近未来小説も同時に未来の老人介護の予想をダイナミックな発想でしており、こんな事が起こりうる可能性もあるなあ、と考えさせられました。
                         
                        しかし恐ろしいに事件が起きます。
                        最初に「Aケア」を受けた老人が、虐待してきた家族を殺して自殺するのです。
                         
                        ニュースなどで大きく取り上げられましたが、篠原はデイケアが閉鎖されたこともあり、積極的に世間に出てコメントをします。
                        それを好意的に受け止める人も多くなり、「Aケア」の有効性について篠原は確信していくのです。
                         
                        ですがある記事を書かれたのを読んだ篠原は突然失踪してしまうのです。
                        それは少年時代の篠原のことを書いた記事でした。
                         
                        蝶の羽をちぎり、新しい虫を見つけたと友人に自慢げに見せたり、カブトムシの足をもいで頭だけ必死に動かしているのを飽きずに見ていた少年時代のことが書かれていた記事でした。
                         
                        篠原には奥さんと、生まれたばかりの子供がいました。
                        編集者である矢倉は奥さんに接触するも、居場所が知れず、焦ります。
                         
                        矢倉は篠原の過去をいろいろ調べます。
                        ニューギニアに派遣されていた時の事、病院で外科医として勤めていた頃の事、デイケアで勤めていた際の事等です。
                         
                        いろいろなことが明らかになりますが、篠原が優秀で努力家で、でも完全主義者であったことが分かります。
                        そして篠原の居場所が分かるのです。
                         
                        篠原は自分の少年時代を知るために、昔の友人を訪ねていたのです。
                        そして篠原は忘れていた自分の少年時代を思い出します。
                         
                        そして自分の残虐性に気付くのです。
                        圧倒的に有利な立場にある自分が弱い立場にいるお年寄りに優越感を抱いており、「Aケア」を勧めるのも戸惑うお年寄りをじわじわと追い詰め、最後はお年寄り自身が望んだように見せかけていた、と。
                         
                        そして篠原は自殺します。
                        それは驚愕の自殺方法でした。
                         
                        線路に横たわって薬剤で死に、電車で頭を切断、というものです。
                        そして遺書には「頭は 私の 廃用身」と書かれていたのです。
                         
                        篠原はもし自分が廃用身になったら迷わず切断する、と言っていました。
                        それをきっと守ったのでしょうが、頭が廃用身とは…。
                        遺書にもびっくりしました。
                         
                        篠原は自殺の前、「Aケア」後に他の施設に入れられて自殺した老婆の遺書を見せられたのでした。
                        それには篠原自身が驚くべき内容が書かれており、篠原は自分の残虐性をしっかりと感じ取ったのです。
                         
                        そして篠原の妻も子供を道連れに自殺します。
                        しかし子供は重傷を負いながらも命は助かりました。
                         
                        矢倉は篠原の小学校時代の友人を訪れ、篠原の少年時代のことを聞きます。
                        すると意外な事に篠原はいじめっこで、それもかなり凶悪な感じだったというのです。
                         
                        矢倉は「Aケア」を受けた人たちにも会いに行き、その後の様子を訪ねましたが、自殺した2人以外は「Aケア」に悪い印象を持った人はいませんでした。
                         
                        そして究極のAケアをした人が、手術後1年半振りに意識が戻り、声を出したという情報が入ります。
                        手術を決断した奥さんはとても喜んでいたようです。
                         
                        もしこれが篠原の自殺前の出来事だったら篠原は死なずに済んだのかも…、と矢倉は考えますが、終わってしまったことです。
                        取り返しのつかない事でした。
                         
                        最後、エピローグがあります。
                        ここでもまた衝撃的な事実が出てきます。
                         
                        院長室の奥に密かにコレクションされたホルマリン漬けの手足。
                        それは「Aケア」を受けた老人たちの廃用身だったのです。
                         
                        おぞましいコレクションだと思いました。
                        病院では処分してくれない、だからこうして保管していたにしても、陳列されたホルマリン漬けの瓶の異様さは突出しています。
                         
                        最後、矢倉は「Aケア」は封印されたが、いつしか同じような処置が外国で流行り、それが逆輸入となって日本に戻ってくるのでは、と予想します。
                        そしてその時、日本人は篠原の慧眼を知るだろう、と。
                         
                        最後まで、緊張感がある読み物でした。
                        私はすっかりノンフィクションだと思っていたので、本当に恐ろしかったです。
                         
                        そして「この物語はフィクションです」という一文を読んで一瞬パニックになり、この物語がフィクションだったのだと気付くのです。
                        まあ、本当にこんなことが行われていたら私自身がテレビや新聞などで知らないはずがないので、よく考えたらわかることだったのですが、あまりにも小説が真に迫っていたのでフィクションだと気付かなかったのです。
                         
                        そしてこの物語を書いた“久坂部羊”をすごい小説家だと思いました。
                        ここまで迫力のある小説にはなかなか出会えないと思います。
                         
                        この“廃用身”がデビュー作だそうです。
                        調べてみるとその後何冊か本を出しているようなので、読んでみたいな、と思いました。
                         
                        ですが怖い気もします。
                        でも興味には勝てません。
                         
                        皆さんもぜひ“廃用身”、読んでみてください。
                        日本の未来について否応なく考えさせられる、素晴らしい作品です。





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